鋸南町台風15号被災ボランティアリポート
2019/9/9、台風15号ファクサイによる関東圏(とくに千葉県や伊豆諸島)の甚大なる災害がありました。
千葉市付近に上陸するときの勢力は中心気圧960hPa・最大風速40m/sの「強い」勢力であったが、関東上陸時の勢力では過去最強クラス*1。
千葉県南部の被災状況がSNSで伝わり始めたのが9/11頃。
この時点では「TVではほとんど報道されていないようです。誰か伝えて!」なんて声がSNSで上がっていた。
少しずつSNSで被害状況が拡散されていく中、
鋸南町でご縁があって知り合いになった菅野さんから「14日からボランティアに行くので車で一緒に行きませんか」とのお誘いをいただきました。
急遽、土日の予定をキャンセルして向かうことにする。
この記事では、14~18日の5日間千葉県鋸南町に滞在してボランティア活動などを行う中での、個人的な経験と感じたことなどをお伝えしようと思う。
要点まとめます。
日々の詳細に興味がある人はフェイスブックに毎日アップした記事をあとでご覧ください。とりあえずは飛ばして進んでください。
1日目
2日目
3日目
4日目
鋸南町の被災状況
すでにマスメディアやSNSなどで動画や写真をたくさんご覧になっていることでしょう。
以下に貼るのは現地の瓦礫集積所の写真です。
トラックやバンなどの運搬手段がある住民は、町内2ヶ所の集積所に持ち込みます。日々持ち込まれるので、現在はもっと大量に積み上げられていることでしょう。
町全体の瓦礫集積所2ヶ所のうちひとつ、旧佐久間小。(16日時点)
もう1ヶ所、鋸南町保健福祉総合センターすこやか。(17日時点)
2ヶ所の集積所が受け入れを始める15日以前は、管区ごとの集積地に集めていました。
町内の管区ごとの一時集積地(これが20数区ある)。(15日時点)
個別の被災画像を載せずとも、この瓦礫の量で被害の甚大さがおおよそ分かるかと思います。住民7,800人の鋸南町です。
鋸南町、被災住民の生活環境やインフラ状況
■停電状況
東電のHPでは9/13頃まで、停電が5,000軒以上。(おそらくほぼ全域)
9/14頃には2~3,000軒程度で、9/18頃には1,000軒以下となる。
■その他9/14時点
主要道路の交通はほぼ可能になっており、物流は回復途上でした。コンビニは(倒壊した一店舗を除き)営業を再開し、ラインナップは乏しいものの弁当なども置いてあった。スーパーの営業も再開されていた。飲食店も営業し始める店舗がいくつかあった。
支援物資についても、あくまで配布拠点には十分にあったようす。
携帯の電波は中継車が配置されており、僕が行った範囲ではほぼ繋がっていた。
断水地域は100軒前後。
14~18日、ボランティア活動内容
14~16日はボランティア受付8時開始~16時まで。18日以降9時受付~16時。
ボランティアセンターで受付をして、マッチング会場で活動内容ごとに人数割り当て、グループごとに現場で活動、作業完了後受付に戻る→再度マッチングという流れ。
■僕個人の活動実態
・14日午前「ニーズ調査票」を持ち、各家をヒアリングして回る。自分の受け持ちは20軒ほど
・個別のお宅の片付けや倒木の処理等、通算5軒
・一管区の瓦礫集積地の整理整頓2ヶ所
・全体の瓦礫集積所での瓦礫受け入れと整理を1日
■体験から得たポイント
・高速道路を利用する人は証明書を出すと無料になる。事前にプリントアウトしておく。
・現地ではボランティア保険を受け付けしていないので、事前に入っておくとよい。最近はネットで申し込めるらしい。
https://www.saigaivc.com/insurance/
・雨天時はボランティア受付が中止になる。だが復旧作業自体は行われているので、独自のボランティアネットワーク、役場や地元の方などとのパイプがあれば人手が必要なところを教えてくれる。
・雨天時とその翌日は、カッパ(フード付き上下)、長靴が必須。天気予報を確認し、事前に用意したい。
・災害復旧作業現場では、ガラス、トタンやサッシなどの金属、釘の飛び出た木材など、鋭利な瓦礫を扱う作業が非常に多い。ふつうの軍手ではかなり恐怖を覚える。ラテックスゴムが塗布されたグローブを推奨。
・高所作業可能な職人がとくに求められる(一般の人は屋根の上は禁止)
・チェーンソー持参、および扱える人は大活躍。
※あくまで今回の体験の一部なので、ボランティア活動心得が必要な方は先人のまとめ記事などを参照してください。
鋸南町の住民の様子
僕の個人的な感想かつ、あくまで今回出会ってお話させていただいた数十人の方々から受けた印象ですが、
鋸南町では、罹災した住宅の方でも、明るく話す人が多かったです。
「いままで80年生きてきて、災害なんて初めてだ。とうとう順番が回ってきたんだなぁ」なんて笑って話すおじいちゃん・おばあちゃんが多くいました。もちろん若い人も明るいです。
鋸南町では断水している家が100軒程度。今回の滞在では断水のお宅の方とは出会いませんでした。鋸南町はプロパンガスなので、水とガスがあれば不安は小さかったということのようです。
その一方で「断水しているところの人はつらいと言っている」という話も耳にしました。
滞在中の飲食
閑話休題というか、箸休め的に、食事の画像なども載せときます。
ブロック栄養食も背負って行ったんですが、飲食店が営業していると分かって、できるだけ外食することにしました。これもひとつの支援になればと。
ボランティアで移動車販売が来ていました。銀座から来て無料提供していました。
まとめ、僕らにできること
今回の鋸南町滞在中、たくさんの方に応援と励ましのメッセージをいただきました。
ほんとうにありがとうございました。
なかには、「自分は行けなくて申し訳ない」とおっしゃる方も多かったです。
311震災の時、僕もそう思っていました。
復興支援ボランティアに行こうと、作業服、カッパ、安全靴長靴等ひと揃い購入した。けど東北に知人は皆無だったので、災害後しばらくの間はボランティア難民になってしまう確率が高く、むしろ迷惑になると思い行けなかった。
そのあと土木作業員としてなら入れるかと思って何社か就業希望登録したのだけど、お呼びがかからず結局行けずじまいになってしまった。
鋸南町には、たくさんの方の助けをいただいて、しばらく滞在することができました。無縁であれば一日だけでも大変だったでしょう。
だから僕が千葉にボランティアに行けたのは、たまたま縁と状況が許してくれたのであって、支援に行ったから偉いとかすごいとかいうことでは決してない。
311の時のことは自分なりに悔やんで、もやもやしたものが残っていたので、「行けるか行けないかも縁のようなものだ」そう思えるようになったことが一つの収穫でした。
今回の滞在でたくさんの方のお話を聞くことができました。
直接お手伝いすることができたご家族には、それはもうものすごく感謝のお言葉をいただきました。お手伝いすることがない方にも、僕らが関心を持ってお手伝いに来ていることをお伝えするだけで、みなさま嬉しそうにしていただけました。
ある日、作業が終わってから、以前に一度お会いしたことがあったおばあちゃんのお宅を訪ねました。小一時間ほどお話ししたあと、「あなたと話してたら元気が出てきたよ」とおっしゃいます。そしてお暇する際には、こちらが「もうこのへんでいいですからー!」って叫んだくらいずっとお見送りされました。
話をするだけでもいいんだ。
関心を持つことがまず大事だって実感しました。
台風15号の被災地も、復旧には数年がかりになるはずです。
被害の甚大さについてとか悲観的になることばかりを伝えるんじゃなくて、これからが明るくなるような話を伝えたい。
また別の記事で書きますが、鋸南町で「鋸南エアルポルト」というプロジェクトを10月から始める予定です。これは台風が来る前から進行していたものです。
鋸南エアルポルトから、「鋸南町は元気です」っていうことを発信していきたいと思います。
長文、お読みいただきありがとうございました。
明日21日も、仲間たちとボランティアに行きます。