スパゲッティ会長ぶろぐ

日々思うことをあれこれ。

ロシア・ウクライナ戦争について少しだけ。

ロシア・ウクライナ戦争が始まってから(ここではあえて「ロシア・ウクライナ戦争」という)1ヶ月ほど、ずっと毎日考えていた。けれどこの思いをどう言語化するかについて、自分の中にこの思いに近く重なれる文章が見つからなくてずっと悩んでいた。ようやくほんの少しだけでも言葉が見つけられたので物す。

僕はもちろん「戦争反対」です。でも「戦争反対」ではない人っています?(たとえば戦争によって儲かる人がいたとしても「戦争賛成」と言うことはないですよね)。みんなの共通認識なら「戦争反対」って何も言ってないに等しいですよね。みんなが思ってるんだから。「戦争反対と言明することには意味がある」vs「当たり前のことを表明しなければならない限りは当たり前のことにはならない」というのが僕の中でぶつかり合っていました。

今回のウクライナ侵攻で「戦争は絶対No!」とか「侵略は人に非ず」とかの言説を挙げる人は多くいた。でも文字が起こされて以降、人類の歴史において戦争が絶えたときって一度もないんですよ。それは現代においても。戦争(内紛なども含め)はアフリカや中東でも終わってないし、(ある国家に比して)小さな部族は迫害され続けていたりする。今回みたいに目立って大きな戦争が起こった時に限って声を大にする人って、単なる己の自意識のプロモーション活動じゃないですか?って僕は疑う。これは自分にまっすぐブーメランが返ってくるんで僕かてこのことに言及したくはない、と思いながらこの文章を書く。ここでまた悩む。

でも僕はこのロシア・ウクライナ戦争にもの申すことによって、「プライド的な自意識」や「他者の評価」を向上させたい欲という低俗さによる自身の動機を踏まえたうえで、それと同時にその低俗さを自分で恥じることで、その低俗さを乗り越えて発言したいと思う。

つまり「カッコいいこと言って評価されたいけど、カッコいいこと言いたいって意図それ自体がカッコ悪いことは分かっていて、実質カッコ悪いんだけど言います」ってことです。

 

でもここまででほとんどすべて言いたいことを言ったようなものです。あとはちょっとだけ。

 

現代において、武力で侵略して「俺の領土だ、うぇーい^^」とはならなくないですか?そんなことはロシアも分かっていてやっているんだってことは前提ですよね。