縄文barを開店します
どうもスパゲッティ会長です。
最近の僕はだいぶ頭がおかしいです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
3日前くらいからエイプリルフールネタとして(この本文のための)前フリの長大な頭のおかしい文章を仕込み始めていたんですが、5000文字を超えたあたりでまだ全体の構想の1/3にも達していなくて、「これ全部書き上げたとしてもぶっちゃけこのクソ長文を読むやつ誰もいねぇだろ」ということに気づいて、そこまで書いたものを全部ボツにしました。
なのでいきなり本題です。ここからが嘘なのかどうかはみなさんご自由に解釈してください。
2019年、鋸南に来てから縄文アーティストを自称して活動しているまさやんことスパゲッティ会長です。2022.2.22PM2:22に竪穴式住居を完成させました。
そして次に僕は、縄文barを開店する予定です。
自分で工事とかしなきゃいけないのもあって、オープンはまだ未定ですが2~4ヶ月先くらいにオープンできたらいいかなとざっくり思っています。
ご近所の人に「バーをやろうと思ってるんですよね」って伝えると、ある年代以上は「バー」というとまずキャバクラのようなものを思い浮かべるみたいなので、最近では分かりやすく「居酒屋やります」って言ってます。
僕の縄文barというのはいったい何なのかというと、すでに決めていることが3つあります。
①ビリヤード台を置く
②板状土偶で注文をする
③誰でも作れるような料理を出す
順を追って説明します。
①ビリヤード台を置く
縄文barをやろうと思った時に、ほぼ同時に思い付いたのがビリヤード台を置くことなんですよね。みなさん「縄文時代にビリヤードがあるわけないだろ」っていいますか?
いいえ僕は縄文にビリヤードがなかったとは、100%言い切れはしないと思うんですよね*1。
日本全国の縄文遺跡では石棒(せきぼう)というものが多く出土しています。以下、参考画像。
これ何かに似ていると思いませんか?
そうです。
ビリヤードのキュー(球を打つための棒)ですね。
縄文時代だっていろんな娯楽は考案されていたと思うんです。縄文人はあれだけ遊び心のある人達です。棒で球を打って穴に落とすなんて容易に思い付きそうですよね。
なので縄文barにはビリヤード台を置くつもりです。できれば安房近隣から、不要になったビリヤード台を見つけたいです*2。「そういえば使ってないビリヤード台があそこにあったな」っていう情報を求めています。情報提供よろしくお願いします。
②板状土偶で注文をする
縄文barでは、来店後まず現実世界のマネーを、まさやんが制作した板状土偶に交換してもらいます。(板状土偶というのは薄っぺらい板状の土偶でほとんどが数cm程度の大きさのものです。)
1000円で3枚の板状土偶と交換したうえで、その1枚につき1J(jomon)という単位で注文します。たとえば「だし巻き玉子 1J」みたいな感じでメニューがありますので、それなら土偶を一枚渡す、という感じですね。
1000円で4枚(250円)とか1000円で5枚(200円)とかの方が、細かく値付けできて(店側としては)使い勝手がいいだろうとは思いました。けど1000円3枚(333.33...)というのは数字が割り切れないところがいいんです。現世のマネーの経済的な価値を、縄文barに入ったらいったん切り離す。それがこの方式の目的とすることだからです。「1Jは1板状土偶(同じものはひとつもない)であって通貨ではない」ということです。注文せずにあまった土偶はお持ち帰りいただきます(また次回使える)。あるいはお隣の席の方に差し上げてもいいです。
③誰でも作れるような料理を出す
縄文barでは、希少な食材を使ったりとか、職人技を駆使した料理とかは出しません。誰にでも手に入れられて、多少の習熟があれば誰にでも作れる料理を出します。それはなぜかというと、「ここでしか食べられない一皿」みたいなものを店側で作ったとしたら、その噂を聞きつけて「ここでしか食べられない一皿」を食べに来る人がたぶん現れますよね。んで「うまい」とか「まずい」とか、「やっぱ他で似たようなものが食べられる店がある」とか、評価を始めることになりますよね。
僕、そういうのに興味ないんです。「ここではどこでも食べられそうなものが出てくるけど、ほっとする」とか「まぁ料理はそこそこおいしいけど、それより店主と話をしに来た」とか「お店の雰囲気にひたってぼーっとしたい」とか。そういうお店にしたいんです。
そのために、もし仮に「この店でだけ食べられるすごい料理」というのが作れるとしても、それを作ることはしないつもりです。
縄文barについてすでに決めていることは上記3点だけで、あとは天井工事をしながらぼちぼち考えていきます。
ところで天井工事だれか手伝ってください。どうしても三人くらいいないとできない工程があって、いまのところ進んでいません。
ここいらで、
「縄文barをやるんです(orやってます)」みたいなこというと、かならずこういうヤカラが現れるのであらかじめ言っておく。「じゃあ猪を自分で狩って出したらいいんじゃないの?」「どんぐりでなんかクッキーとかでも作ったら?」。そんな誰でも思いつくようなことをしたり顔でアドバイスしたつもりになってんじゃねぇよバカヤロウ。言うならテメーがやれや。俺が縄文だ。何を作ろうが何を出そうが縄文バーなんだよ。手を動かさねえやつが余計な口をはさむな。(突然の豹変w)*3
だけど友人のハック(関侑樹)は「縄文のボードゲームつくったら面白いんじゃない?」という提案のもと、いろいろ具体案を一緒に考えてくれたので素直に聞いて「どんぐりバーシ」というボードゲームを作りました。
僕は誰の話にも耳を傾けないわけじゃないです。したり顔しながら上から目線であたりまえのアドバイスするやつはノーセンキューなだけです。①したり顔×②上から目線×③脳みそ使わない、が揃ったら大三元テンパイであと一牌ツモったら店から叩き出します(店主が険呑w)。
そんなこんなで縄文barをそのうち開店します。レセプションやプレオープンみたいなのはやりません。オープン日すらも情報公開しないかもしれません。いつの間にか開店してた。みたいになると思います。たぶん金土夜のみの営業になると思います。
話は変わって、そういえばちょうど1年前の4/1に詩集を出していたのでした。
去年の今頃これを編集するために、10代20代の頃に書き溜めた詩に、繰り返し目を通したのがきっかけで、かつて自分の中に棲んでいた獣のような狂気が一年間で少しずつ目を覚ましてきた気がします。
昨年末から2月末まで、エアルポルトに89日間滞在してくれて友人となったマサ(高桑雅弘)*4*5。マサと、尾崎豊について語りあった夜や、マサの持つエネルギーとの交感が、獣の目覚めをさらに加速させた感もあります。
30代の約10年間、獣はおとなしく眠っていたんですが、40代からまた向き合わなきゃいけないようです。
『アートはいつも狂気から生まれる』(©2022まさやん)
僕はまたアートを始めようとしているのだろう。
いや今度は、アートを作るとかアートをやるとかではなくて、
僕自身がアートになろうとしているような気がする。